名称 | 箕輪城 | |
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別名 | なし | |
所在 | 群馬県高崎市 | |
築城年代 | 1512年(永正九年) | |
築城者 | 長野業尚 | |
遺構 | 土塁・空堀・石垣・復元門 | |
スタンプ設置場所 | 高崎市箕郷支所 | |
関連HP | 高崎市文化財情報案内ページ |
箕輪城は、百名城16番に指定されていて群馬県高崎市にあります。
榛名山の山麓の丘陵を利用して築かれた南北に約1,100m、東西に約500mの規模を誇る平山城です。
西側には、榛名白川が流れていて天然の堀となっていました。
西上野を勢力圏にしていた長野氏の長野業尚が、永正九年(1512年)に築いたとされていて、長野氏が居城としていた当時は現在の搦手口が大手口であったようです。
長野業正が当主だった頃には、武田信玄の西上野への進出が盛んに行われましたが、退けています。
長野業正死後に、家督を若くして継いだ長野業盛は武田氏の侵攻を防ぎきれずに永禄九年(1566年)に落城し、長野業盛は御前曲輪で自刃したと伝えられています。
武田氏が城主となった後は、織田氏・北条氏・徳川氏と支配者が替わり徳川四天王の一角の井伊直政が城主となりました。
井伊直政は、近代城郭に改築して現在の縄張りとなりました。
復元されている郭馬出西虎口門も井伊直政時代の建造物を復元したとされています。
徳川家康の命により、交通の要衝である高崎への移転を命じられたため、慶長三年(1598年)に箕輪城は廃城となりました。
・箕輪城の遺構
二の丸・三の丸の南側にある大堀切は圧巻です。
当時は、現在よりも5m以上堀底が深かったとされていています。
他にも、馬出や空堀と土塁の組み合わせや横矢掛かりできる構造が各所に見受けられ難攻不落な防御構造がよく分かる構造になっています。
二の丸の南の郭馬出に築かれた郭馬出西虎口門は、大手方面から本丸へと続く要衝にあり箕輪城内でも最大規模の城門であることが分かっています。
幅が5.7m、奥行が3.5mで二階建ての櫓門として平成28年11月に復元工事が完了して公開されています。
発掘調査で、礎石が八石残っている良好な状態で見つかり、現存する同じ時期の城門を参考にして、推定復元されています。
かなりインパクトのある建造物なので、見落とすことはないと考えられますが、箕輪城に登城するなら必ず見て下さい。
箕輪城の百名城スタンプ設置場所は、高崎市箕郷(みさと)支所です。
2006年に平成の大合併で高崎市に編入された箕郷町役場が現在は箕郷支所となっています。
支所の開庁時間のみスタンプが利用できるので要注意です。
箕郷支所の隣接する敷地に、武田氏に滅ぼされた長野市の重臣だった下田大膳正勝の子孫が残した邸宅跡があります。
旧下田邸の建築には、忠臣蔵でも有名な堀部安兵衛が関係しているようなので是非立ち寄ってみて下さい。
箕輪城へのアクセスは、公共交通機関なら高崎駅西口からバスが出ていますが、1日に数本程度の運行ですので厳しいです。
駐車場は、箕輪城の東側搦手口に近い駐車場は、舗装されていて、公衆トイレも設置されているのでおすすめです。
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