川越城(かわごえじょう、別名:河越城、初雁城、霧隠城 )

川越城の概要・歴史・構造等

名称 川越城
別名 河越城、初雁城、霧隠城
所在 埼玉県川越市
築城年代 1457年(長禄元年)
築城者 太田道灌
遺構 土塁・空堀・本丸御殿
スタンプ設置場所 本丸御殿入場券売り場
関連HP 川越市案内ページ

川越城は、百名城19番に指定されていて埼玉県川越市にあります。

関東地方の戦国初期の動乱である享徳の乱時に、古河公方と対立する扇谷上杉氏の上杉持朝が家宰の太田道真・太田道灌父子に命じて長禄元年(1457年)に築かせました。

武蔵野台地の北端の丘陵地にあり、東側の低湿地と比べて5m程度高い位置にある平山城です。

古河公方や山内上杉氏・扇谷上杉氏の攻防で、何度も戦いの舞台となりましたが、扇谷上杉氏が川越城の支配を維持していました。

天文六年(1537年)に扇谷上杉氏の家督相続の混乱に乗じて、北条氏綱の攻撃により落城し、その後は後北条氏が支配する城となりました。

後北条氏の武蔵支配を確実なものにした日本三大夜戦のひとつに数えられる河越夜戦は、川越城を巡る戦いでした。
ちなみに、日本三大夜戦の残りの二つは毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦いと織田信長と今川義元が戦った桶狭間の戦いです。
桶狭間の戦いは、夜戦ではありませんがなぜか含まれています。

小田原征伐後の徳川家康の関東移封時に、酒井重忠が城主となり川越藩ができました。
その後、城主は何度か替わり松平信綱が城主だった頃に、川越城の大改築が行われて、城域は倍の広さになりました。

・本丸御殿

本丸御殿は、二の丸御殿が火災で焼失したために造営されて、嘉永元年(1848年)に完成した建築物で現存する本丸御殿は川越城の他には高知城のみという非常に貴重な遺構です。
明治初期の廃城令で、本丸御殿の大半は解体転用されて、現存している玄関と大広間部分が残って一時期は中学校の体育館として利用されていたこともあります。
天井をよく見るとバレーボールが当たった跡を見つけられます。

離れのようになっている家老詰所は、民家に移築されていたものを再度移築しています。

・中ノ門堀跡

中ノ門は、大手から本丸への通路の要所にあった堀を3本組み合わせた高い防御力を持っていました。
現存している中ノ門堀跡は、3本のうち本丸側に近い堀でした。
中ノ門は、二階建の櫓門があったと考えられています。

大手門跡のあった市役所方面から本丸御殿に向かう通りの南側にあります。

・富士見櫓跡

本丸の南西隅櫓として建てられて、城内で最も高いところにあったため天守閣の代わりとなっていました。

本丸御殿から南方向に約300mほどのところにあります。

川越城のスタンプ設置場所・アクセス・駐車場

川越城のスタンプ設置場所は、川越城本丸御殿内の入場受付窓口にあります。スタンプ台が設置してあるわけではなく、係員の方に声を掛けるとスタンプを出してもらえます。
川越城本丸御殿は、月曜日が休館日で、休館日は、本丸御殿の北東にある武道館にスタンプ台が設置してあるそうです。

川越城本丸御殿へのアクセスは、JR川越駅東口から徒歩35分程度です。小江戸川越の街並みを眺めながら、のんびり歩いて向かうのもおすすめです。
バスで行くなら、JR川越駅から出ている小江戸巡回バスの博物館・美術館バス停が最寄りですが、1日4本程度しか運行していません。

駐車場は、本丸御殿北側に用意があります。

百名城の一覧ページはこちら

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする