大阪城(おおさかじょう、別名:大坂城、錦城)

大阪城の概要・歴史・構造等

名称 大阪城
別名 錦城、大坂城
所在 大阪府大阪市中央区
築城年代 天正十一年(1583年)
築城者 豊臣秀吉
遺構 櫓・門・石垣・堀
スタンプ設置場所 大坂城天守閣一階インフォメーション
関連HP 大阪城天守閣

大阪城は、百名城54番に指定されていて大阪府大阪市中央区にあります。

上町台地の先端に位置していて、古代には大化の改新の舞台となった難波宮がありました。
戦国期には、一向宗が石山本願寺をこの地に築き堀や土塁に囲まれた強力な防御力を持つ寺内町となっていました。
石山本願寺が、織田信長との戦いに敗れて一向宗が退去した頃に焼失しましたが、織田信長の後継者となった豊臣秀吉が、この地に大阪城を築きました。

豊臣秀吉の死後も豊臣秀頼が大阪城を本拠地としていましたが、慶長二十年(1615年)の大坂夏の陣で大阪城は落城し、豊臣氏は滅亡しました。

その後、大坂は江戸幕府の直轄地となり徳川秀忠が、大阪城を再築工事を行いました。
豊臣の名残を払しょくするために、豊臣時代の城の遺構に盛り土をしてそのほとんど埋没させてその上に徳川の大阪城を築きました。

大阪城の天守閣は、1665年に落雷により焼失して昭和6年に鉄筋コンクリート造りで再建されるまで天守はありませんでした。

・遺構、構造

台地の突端にあり、北・東・西の三方は本丸から見て低地になっていて北側に流れる淀川を天然の堀とし、城内の堀に水を引き込むのにも利用しています。
本丸を二の丸で囲み、さらに二の丸を三の丸で囲む輪郭式の平城です。

現存する石垣などの遺構は、豊臣期のものは再築時に埋められているのでほとんどすべてが徳川期のものと考えられています。

・天守

昭和6年に大阪市民の寄付により再建され、大阪のシンボルにもなっています。
鉄筋コンクリート造り、高さは54m、5層8階で復興天守の中は博物館「大阪城天守閣」となっています。

・真田丸

大河ドラマのタイトルにもなった真田丸は、豊臣期の大阪城の南側に隣接するようにありましたが、徳川大阪城では城域が半分以下となったため、大阪城公園駅から2駅離れた玉造駅付近にある三光神社が跡地です。

大阪城のスタンプ設置場所・アクセス・駐車場

大阪城の百名城スタンプ設置場所は、復興天守1階にあるインフォメーションカウンターにあります。
カウンター内の係員さんに声を掛けるとスタンプを出してくれます。

インフォメーションに行くには、天守閣の入場料を支払う必要があります。
入場料は、大人が600円で中学生以下は無料です。

大阪城へのアクセスは、公共交通機関が便利です。
大阪城域は、広範囲なので最寄り駅は複数あります。
JR大阪城公園駅、JR森ノ宮駅、JR大阪城北詰駅、大坂メトロ天満橋駅、大坂メトロ谷町四丁目駅が最寄り駅となります。
大阪城に大手門から入るなら大坂メトロ谷町四丁目駅が最寄りとなります。

駐車場は、大阪城公園内に3か所あるので、車で行くのも問題ありません。

百名城の一覧ページはこちら

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